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概要

okawa_design_vol.1

筑後川の豊かな流れから始まった大川家具480年の歴史。【昭和48年8月28日】筑後若津~諸富 国鉄佐賀線の昇開橋。最後のSL59681号が昇開橋を渡って行った。さよならSL。『上)今も残る大川鉄道の橋脚。(大川市大字中古賀、新橋水門付近。(下)今も残る大川鉄道の蒸気機関車。(久留米市三潴町高三潴)福岡県と佐賀県の県境に位置する大川市は、九州最大の一級河川「筑後川」の左岸に位置し、人々は筑後川とともに時を刻んできました。中でも榎津地区と小保地区は、古くから肥前の交通の要所として発展してきました。戦国時代、豊臣秀吉の九州平定に際して、その功を認められた立花宗茂が筑後一帯を与えられますが、1600年関ヶ原の戦いで石田三成を中心とした西軍にくみしたため、わずか13年で改易。変わって筑後一国を治めたのが田中吉政です。1620年、田中家が断絶すると筑後は旧柳河藩、旧久留米藩に領域が分かれ、現在の大川市が2つの藩に分かれて統治されることになります。江戸時代初期には、肥前への水運の要所として、肥後街道沿いに位置する榎津地区に旧久留米藩の港町、隣接する小保地区に旧柳河藩の宿場町を設けました。2つの藩によって形成された町は全国でも非常に珍しく、歴史的価値の高い地区になっています。街道沿いには、旧柳河藩別当職を務めた吉原家の居宅や武家屋敷などが江戸期のまま現存しているほか、大小の寺社が点在し宿場町の面影を残しています。【昭和20年代】若津港渡船風景。田園を走る大川鉄道の蒸気機関車と客車。【昭和10年】住吉町岸壁を散策する人たち。